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年長者に学ぶ

良くも悪くも、「長く生きている人」は手本になる

 

酷い見本を目にしたのなら「こういう年の取り方はしたくねえなあ」と思い

 

素敵な年配者を見れば「どういう人生を送ってきたのだろう?」という興味が湧く

 

悪い見本と近い考え方をし始めたなら

 

「おっといけない、これじゃ録な死に方しない」と反省し

 

良い見本と同じ振る舞いをしていることに気づいたなら

 

「自分もいつか、あの境地に達することが出来るのだろうか」とウキウキする

 

 

 

いずれにせよ

 

"高齢者と呼ばれるまで生き残った/生き延びた"方々からは

 

「学び」と「気付き」をいくらでも引き出せる

 

 

 

 

 

 

 

※ごあいさつ

 

2018年の記事はこれが最後になります

 

本年中はこちらのブログにお越し頂きありがとうございます

 

2019年が皆さんにとって

 

実り多い年になりますよう

「関係性」の話

元々「友人」や「恋人」や「家族」であった関係性も

 

一度「被害者と加害者」に変えてしまうとそう簡単には戻せない

 

「私は被害者で、あいつは加害者だ」という宣言をした瞬間に

 

人はどこまでも冷酷非情になれるのだから

 

軽はずみに使ってはならない

 

取り返しがつかないから

 

 

 

※相手が

「どっちが悪いのかはっきりさせようじゃないか」と言ってきたなら

 

向こうはこちらを「友達だとは思っていない」

ということ

 

手加減は無用

暗澹であんぽんたんな世界

アメリカのユダヤ学校で銃乱射事件があったらしい

 

2021年を目処にメルケルさんが辞任するらしい

 

インドでは、SNSのデマに踊らされた『正義(笑)』の人たちが、集団暴行を加えたらしい

 

 

 

何か「よくないもの」が、ゆっくりとかつ確実に近づいてくる気配がする

 

自分の思い違いであってほしい

「読解力」の基本法則

読解力は人生経験と相関する(若い頃に読んだ本を読み返したりすると、新たな発見もある)

 

つまり、誰かの投稿を誤読して批判コメントを投げつけてくる人とは

 

(その時間地点において)分かり合うことはほぼできない

 

「話が噛み合わない人」において重要なのは

 

「自分はこの相手と(対話を始め、もしくは)続けたいのか?」という欲望の次元なのだと思う

 

 

 

追記

友人との会話において誤読を訂正し続けたくなったら、疲れている証しかもね

「楽しむこと」と「羨ましがられたがること」の違いのような

基本的に物事をややこしくするのは

 

「自身のやっていることを高尚だと思いたがる」人たち

 

 

「流れ着いた先で好きなようにやっている人」は、揉め事をあまり起こさない